アルビオンヒストリー

日本一、世界一の高級品メーカーになる──
壮大な「夢」から始まったアルビオン68年の歩み

1956

3月2日、株式会社アルビオン創業。
5月、東京・銀座1丁目6番地で、社員十数名での
スタート。

ゼロからのスタート

昭和31年(1956年)3月2日、晴れときどき曇り。その日、小林英夫(現アルビオン代表取締役会長)は詰め襟の学生服姿で、卒業を間近に控えた早稲田大学から京橋の登記所へと足を運んでいました。
株式会社アルビオン――日本にはまだない高級化粧品専門メーカーの創業に参加できることを、英夫は誇りに思ったといいます。とはいえ、創業時は銀座1丁目の小さなビルの1階、広さわずか8坪という小所帯でした。英夫も役員として名を連ねたものの、一営業マンとして、まずはアルビオンの商品を扱ってくださるお店の新規開拓という、ゼロからのスタートでした。それは夜行列車を乗り継いで各地を渡り歩く日々で、本社はおろか、ほとんど東京にはいないあわただしい生活でした。

スキンケア5品(乳液「プライアン」、化粧水「オードリン」、栄養クリーム「プランセ」、
コールドクリーム「スキンファット」、「パナシアンパック」)発売。

創業時の商品は、厳選された5品のみ

乳液「プライアン」、化粧水「オードリン」、栄養クリーム「プランセ」、コールドクリーム「スキンファット」、そしてパック「パナシアンパック」の5品でした。
それまでどこにもなかった、品質もデザインも最高の高級品をつくるため、納得のいくまで試行錯誤を繰り返して誕生した5品です。一般的な化粧品の相場が200円から300円だった時代に、5品の価格帯は800円から1,500円。いずれも当時としては“ずば抜けた”超高級品ばかりですが、厳選に厳選を重ねたうえ、壮大な「夢」を込めた自信作ばかりでした。そしてまた、「プライアン」「オードリン」「パナシアンパック」の3品はいまだ現役。時代を超えて、多くのお客様に愛されています。

まず立派な女性であれ

「美容部員である前にまず立派な女性であれ。プライドの持てる、心身立派な人間であれ」創業メンバーである、町田智子初代美容部長の言葉です。
創業当事は教育方法もゼロからのスタートでしたが、高級化粧品をお薦めする人間には、それにふさわしい品格が必要だと考え、徹底した教育が始まりました。美容部員に対しては、美容に関する知識や技術を教えるのはもちろん、挨拶の仕方、靴の脱ぎ方、お茶の入れ方や飲み方といった礼儀作法まで徹底して教育したのです。初代美容部長による「女は灰になるまで美しくあれ」という信念に基づいた全人格的な教育が、「教育のアルビオン」といわれる原点となりました。

一流のお店とともに

「価値ある高級品」をご紹介するお店は、それにふさわしい雰囲気をもった一流のお店であらねばならない。これが創業時に立てられた基本方針の精神であり、信念でした。
つまり、アルビオンを販売する化粧品専門店とは、高級品の雰囲気づくり、サービス、接客の全てが一流とされるお店であらねばならない。それが、高級化粧品をご提供するアルビオンの責任であり、お客様へより高付加価値のある体験をご提供するためにも不可欠なことという考えでした。もちろん、まだ無名の生まれたばかりの会社にとって、このような「一流店厳選主義」の方針を徹底するのは決して簡単なことではありませんでしたが、アルビオンの想いと商品の魅力をいち早く理解し、育み続けている専門店との熱い絆、信頼関係があったからこそ、現在のアルビオンに続く基礎が築かれたのです。

中身はもちろん、パッケージまでも美しく

創業当時、商品内容は高品質の自信作が出来上がりましたが、次の問題は商品のデザインでした。
最初は有名な画家に依頼したものの、斬新さに欠け、なかなか満足のいくものは出来上がらなかったそうです。いくらコストがかかったとしても、安易な妥協はできない、という信念で、次は別の図案家にも依頼してみましたが、それでも満足できません。こうした試行錯誤の結果、東京芸術大学を出たばかりの社内の新進デザイナーの案を一躍抜擢することとなったのです。シンプルな流線型をした気品と手作りの温かみを感じさせるデザインは、これまでの化粧品にはない斬新なもので、まさに高級品の名にふさわしいものでした。有名無名問わず、最高のモノを追求していく精神、斬新でありながらシンプルな美しさは、現在まで脈々とアルビオンの中に受け継がれています。

「気働きの接客」

「気働きの接客」とは、初代美容部長町田智子の信念であり、アルビオンの基本となるポリシーです。
「気働き」とは、一般的にはよく気がつくとか気が利くといった意味に受け止められ、ホスピタリティ精神(おもてなしの心)にも通じる考え方ですが、当時、この言葉を使うサービス業は他にありませんでした。アルビオンにおける「気働き」とは、つねにお客様のことを第一に考え、行動する精神をいいます。つまり、お客様にどのように美しくなっていただくかを最優先し、お客様に喜んでいただく、感動していただくことに徹しなさいという意味です。商品を試し、価値を体験していただくことはもちろんですが、大切なことは、接客にあたる人間が介在して、お客様にあったアドバイスやサービスを行い、体験価値を最大化させるということです。このポリシーは、いくら時代が変化しようとも、受け継ぎ伝承していくアルビオンの遺伝子のひとつとなっています。

“はじまり”のその前に〜キレイになるための「化粧品」を!

アルビオンが創業する少し前、昭和20年代当時、日本は軍需景気に後押しされ、敗戦後の廃墟の中から立ち上がりつつあるものの、女性の肌にとって本当に品質のいい化粧品というものはまだまだ少ない時代でした。
何でもいいから、ただ乾燥しないように顔につけていた、というような時代です。化粧品はキレイになるためのものではなくて、肌を守るためのものでした。今のような上等なエマルジョンがあった時代ではありません。「本当に女性の肌がキレイになる化粧品を、コストなどは関係無く、どんな高級な素材でもいいから、中身もデザインも最高級のものをつくりたい。」この想いがアルビオンを創業する出発点となりました。そして、この想いをようやくカタチにして誕生したものが、選び抜かれた創業の5品だったのです。

柔軟さこそが美しさ

創業期の5品のなかでもプライアンは、「乳液のアルビオン」と評価される契機となった重要な商品でした。
プライアンが画期的だったのは、その商品そのものの特長はもちろん、乳液を使った新しい美容法を編み出したことです。当時の美容法では、クレンジングで化粧を落とした後、化粧水で拭き取り、乳液を使うのが一般的でした。これに対してアルビオンは、クレンジングの後に乳液でもう一度洗顔する「ダブル洗顔」を提案しました。クレンジングの油を乳液をなじませて落とすことで肌をサッパリと清浄な状態に戻し、毛穴が開いた素肌に化粧水で潤いを補給するわけです。ダブル洗顔の後にはベルベットのような柔らかな肌になることから、「ベルベット洗顔」とも呼ばれました。この創業時の美容法をもとに、さらに進化させ、現在の美容理論が出来上がりました。ちなみに、プライアンという名前も、英語のPliant(柔軟な)から取ったものです

1958

東京・原宿に「アルビオンスクール(教育センターの前身)」開校。

アルビオン流「寺子屋教育」

創業の2年後、昭和33年には原宿の一軒家を借り受けて、初代の教育施設となる通称「原宿スクール」を設立しました。
アルビオンの化粧品は他に類を見ない超高級品のため、商品の成分や働き、女性の肌の繊細さを知り尽くした販売員が、お客様に役立つ美容情報とともに商品をご紹介する…そのような付加価値のある体験をご提供するために設けた教育施設です。ここでは、アルビオンの美容部員はもちろん、全国の化粧品専門店の方々も研修に参加し、教える方も教えられる方も寝食を共にしながら過ごすようになりました。研修では、日中の授業が終わった後も、夜には一部屋に生徒が集まって明け方まで語り合うようなことも、しばしばでした。お互いが肌で感じ、想いが伝わる、心と心の触れ合いを大事にした独創性ある「寺子屋」的な合宿教育こそ、後に「教育のアルビオン」といわれる原点となりました。

私はプロです

アルビオンの「美容部訓」は、初代美容部長の町田智子が美容部員に対してモットーとして伝えてきた内容を明文化したものです。町田は、自ら教育して育てた美容部員に強い自信と誇りを持っていました。
1.私はプロです。
2.私は美容部員です。
3.私がアルビオンです。
4.私の挑戦者は私自身です。
かつて、化粧品メーカー各社は、専門店に新人を送り出す場合、「見習い」バッジをつける習慣がありました。「まだ見習い期間中ですので、何か不手際があってもご容赦ください」という無言のメッセージとも受け取れます。アルビオンでもバッジを導入してはどうか、という意見は出ましたが、断固として反対したのが町田美容部長です。厳しい指導をし、どこに出しても恥ずかしくない人材に育てたのだから、見習いなんてとんでもない、という考え方です。

1962

「デューク」シリーズ発売。

“第二の高級品革命”デュークシリーズ発売

1962年(昭和37年)には、創業時の基礎化粧品5品をも上回る高級化粧品「デューク」シリーズを発表しました。
輸入自由化を見込んだ海外メーカーの高級品進出が目立ち始めていたこの頃、“貴族・公爵”を意味する英語“デューク”を冠したこのシリーズは、品質、香り、デザインのすべてに贅を凝らした文字通り高雅な貴族をイメージした逸品ぞろいで、まさにアルビオン“第二の高級品革命”ともいえる最高級品シリーズでした。この「デューク」の登場が、創業6年にして高級化粧品専門メーカーとしての地歩を固め、成長期を支える大きな礎となったのです。特に、シリーズ登場の翌年に発売された美容オイル「デュークミンク」は“ミンクの一滴は輝きの雫”とよばれ、その後の超ロングセラー商品「ハーバルオイル」開発にも繋がる、アルビオンのオイル美容の原点となりました。

口コミこそが宣伝力

テレビの普及と相まって、メディアミックスと大規模宣伝による華やかな宣伝合戦が繰り広げられるなか、口コミこそがアルビオンの無形の宣伝力でした。
アルビオンの場合は化粧品専門店の店頭を中心に、あくまで店頭接客、つまり人による懇切丁寧なご説明とご提案が大切だという考えから、1963年(昭和38年)に初のサマーキャンペーンを企画導入しました。名づけて「アルビオン サマービューティ」。華やかな大型宣伝キャンペーンと比べると控えめな内容ではありましたが、何よりも美容部員一人ひとりのお客様へのおもてなしが、アルビオンという企業の想いをしっかりと体現してくれていました。こうした専門店や美容部員の地道な店頭活動がお客様の支持をいただき、その好感が次々に口伝えで広がっていく。まさに口コミこそがアルビオンの無形の宣伝力だったのです。

1965

業界初の美白商品「乳液 ホワイト」発売。

創立10周年記念商品は“幻のコンパクト”

創立10周年記念商品として限定発売した純金製コンパクト「デュークパフ ゴールドロイヤル」は、積年の夢から生まれた商品でした。
当時の価格で9万円、18金82g(保証書付)。コンパクト表面には孔雀の羽を手彫りするという見事な工芸品でした。この高価な金細工のコンパクトは現会長・小林英夫の発案で、本物を志向する高級品メーカーの象徴として、夢と感動を愛用者に伝えたいという積年の“夢”から生まれた商品です。当時は金の統制下で、このコンパクトの生産量に必要な地金が一度に調達できませんでした。まさに少しずつ少しずつ買い貯めて“夢”を蓄積し、やっと千個の製造が実現した商品、それが「デュークパフ ゴールドロイヤル」でした。10周年記念の限定商品とあって発売後またたくまに完売し、現在アルビオンでもたった1個、大事に保管されているだけという幻のコンパクトです。

1967

アルビオン美容室を東京・丸の内にオープン。

1969

先駆的ケーキファンデーション
「フォンケーキ ソアン」発売

“ケーキの革命「ソアン」”とは

1969年(昭和44年)、当時のケーキの弱点を克服した先駆的ケーキファンデーションとして「フォンケーキ ソアン」が発売。
スポンジと水を用いる夏専用のケーキファンデーションは、そのさわやかな使い心地で人気商品となっていましたが、当時のケーキは商品特性上、肌の乾燥、つっぱり感、仕上がりの不自然さといった点で、初夏や初秋には使いにくい難点もありました。そんなケーキの弱点を克服し、ケーキの使用季節をぐんと広げ、しかもまだ肌寒い季節でもしっとり感、うるおい感のある仕上がりが楽しめるという商品として評価されました。そしてまた、この商品の発売もきっかけとなり、理想のファンデーションを追求し続けるアルビオンの探求が始まり、名品「シフォン」を開発することとなります。

1970

東京・千駄ヶ谷に「アルビオン教育センター」
建設

さらなる教育面の充実を目指して

本社ビルに先立つ初の自社ビルである「教育センター」(東京都・千駄ヶ谷)の建設は、アルビオンの教育に懸ける熱意の象徴でもありました。
創業期の「原宿スクール」が手狭になり、その後、どの部屋からも緋鯉が泳ぐ噴水庭園が眺められるほど由緒ある日本家屋を借り受け、「鶴見スクール」として移転。これら教育面の充実は、アルビオンを支える原動力でした。講師や受講生が起居を共にして語り合うアルビオン流「寺子屋」的合宿教育が評判を呼ぶ一方、年々増え続ける受講者への対応が再び難しくなり、いよいよ自前の本格的な教育施設を建設することとなりました。当時、自社で専用の教育施設を所有する化粧品メーカーは限られていましたが、それだけに本社ビルに先立つ初の自社ビル「教育センター」の建設は、アルビオンの教育に懸ける想いの大きさを体現するものでした。

1972

高級シリーズ「グランデューク」発売。

1974

ロングセラー「スキンコンディショナー(スキコン)」を含む「グランデューク エッセンシャル」シリーズ(4品)発売。

最高級ライン「グランデューク」シリーズの導入

1972年(昭和47年)には、既存の「デューク」シリーズに“高貴・最高”を意味する「グラン=GRAND」(仏語)を冠し、文字通りデュークを凌駕する「グランデューク」が登場しました。
高級品の原点に返って研究を重ね、多様化・高級化する化粧品市場にアルビオンが威信をかけて送り出した最高級ラインで、“素肌美”を商品コンセプトにした、エイジングケアのはしりを行くものでした。特に、シリーズの一品「グランリッシェ」は、当時としては貴重な美白クリームで、“美白のアルビオン”の礎となった商品であり、この2年後に発売された「グランデューク エッセンシャル」シリーズの中の「スキンコンディショナー エッセンシャル」は、“スキコン”の愛称で約40年たつ今も現役の超ロングセラー商品となりました。
※美白とは、メラニンの生成を抑えて日やけによるシミ・ソバカスを防ぐことです。

日やけ肌ブーム中にも、美白を追い求め

乳液や化粧水など単品の美白化粧品は存在していましたが、1974年(昭和49年)、業界に先駆けて本格的な美白シリーズとなる「ナチュラルシャイン」を発売しました。
創業以来「透明感のあるしなやかな肌」を追い求め、1965年(昭和40年)には毎日の基本のお手入れとして美白乳液「ホワイト」を発売。1969年(昭和44年)には化粧水やパウダーを発売し、「風に秋を感じたら白い肌へ」のキャッチフレーズで、初めての美白キャンペーンを展開しました。その後、日やけ肌がブームだった時代においても、業界の中で先駆的な美白シリーズ「ナチュラルシャイン」を発売。美白化粧品が大ヒットするのは20年以上を経た1990年(平成2年)となりますが、「美白のアルビオン」と称されるほど、いつの時代でもひたすらに理想の肌を追い求めた、独自の歴史がありました。
※美白とは、メラニンの生成を抑えて日やけによるシミ・ソバカスを防ぐことです。

1978

業界初となる水乾両用のサマーファンデーション「デューク マリーンブロッサ」発売。

次々とサマーファンデーションを開発

理想のファンデーションを追求し続けた、アルビオン研究陣の努力と技術力の成果が実を結び、この時期にサマーファンデーションの画期的な新製品が相次ぎました。
1969年(昭和44年)に発売した「デューク フォンケーキ ソアン」の大ヒットに続いて、2年後にはソフトタイプの「ソアンS」を発売。さらに1973年(昭和48年)には水使用のパウダータイプ「サンノーブル」、翌1974年(昭和49年)には汗くずれしない新タイプのサマーリクイッドファンデーション「サンローレル」の発売と続き、1978年(昭和53年)にはついに、サマーファンデーション「マリーンブロッサ」を発売。いまや定番となった2ウェイタイプの先駆け的存在であり、水でも、水無しでも簡単に夏のお化粧を美しく仕上げることができるこの商品は、ファンデーションの革命ともいわれました。

1981

創立25周年を機に「第二の創業期」を宣言。

社是、経営理念、社歌を制定し、「THIS IS ALBION」をコーポレートスローガンとする。

「第二の創業期」を宣言ー原点からの再出発

創立25周年を機に、創業以来の“アルビオンらしさ”を再び見つめ直すために、コーポレートスローガンとして「THIS IS ALBION」を掲げました。
アルビオンでは、お客様に誇りを持って使っていただき、信頼して使っていただけるブランドであるためには、自ら切磋琢磨し、プレステージメーカーとしての責任を果たしていくことが基本だと考えています。そのためにも創立25周年を「第二の創業期」として、組織・人事の刷新や組織体質の改善にも着手。全社一丸となって創業の原点に立ち返り、学び直すことで「アルビオンはここが違う」と言えるものをさらに磨き上げ、お客様の心からの共感を得られる商品やサービスづくりに励むことを誓いました。

こだわりのパッケージデザイン、世界に

創業以来、高級品にふさわしいユニークで高雅なデザインの商品を送りだすなか、世界的にも権威のあるデザイン賞「クリオ賞」を受賞。日本のみならず世界にその名を知られることになりました。
メイクアップシリーズ「アンフィナーレ」が「通商産業大臣賞」を受賞する等、これまでも国内では数々の名誉ある賞をいただき、アルビオンのデザインが広く世に認められてきたなか、創立25周年の1981年(昭和56年)、「グランツ」シリーズが初めて世界的権威のあるデザイン賞「クリオ賞」(International CLIO Awards)を受賞。さらに1982年(昭和57年)にはスキンケアシリーズ「ノアレック」、1985年(昭和60年)には日本の伝統工芸の粋を集めた漆のコンパクト「夢うるし」が「クリオ賞」を受賞。アルビオンのデザインに生かされた、高級品づくりへの夢とこだわりが、国内外での数々の受賞につながっていきました。

365日いつでも美しくあるために

「365日いつでも美しくありたい」と願う女性のニーズにお応えし、お店の美容コーナー(美容室)を利用して行う美容活動がさらに活発化しました。
アルビオン独自の美容活動は、創業時のマッサージによるフェイシャルサービスまでさかのぼります。特に、1980年頃は美容室専用商品「エステティックマスク」の開発や、今も続く人気商品「スキンコンディショナー エッセンシャル」を含ませたマスクを使った“マスク美容法”のご提案が、多くのお客様の支持をいただきました。また、お客様の肌の状態や悩みを正しく把握し、お手入れ法の紹介、美容や生活のきめ細かいアドバイス、その他美しくなるための必要な情報をご提供するために、肌の状態を測定できるカウンセリング用機器を導入し、サイエンスからの確かなアプローチも強化していきました。

1986

「株式会社エレガンス・コスメティックス」設立。

1987

「株式会社コスメティック・クリエーション・パリ」設立。

1988

高級スキンケア「エクス・ヴィ」発売。

1990

スキンケアシリーズ「エクシア」発売。

ヘアケアシリーズ「ディセ」発売。

1992

美白スキンケアシリーズ「エクシアホワイト」
発売。

1996

アルビオン美容室を全面リニューアル、
「エスプリ・ド・ボーテ アルビオン」として新装オープン。

専門店限定の新ブランド「イグニス」スキンケアシリーズ発売。

1997

「エクサージュ」シリーズ(スキンケア&ベースメイク)発売。

コア・ブランド「エクサージュ」シリーズのデビュー

1997年(平成9年)、スキンケアシリーズ「エクサージュ」がデビュー。みずみずしい弾力のある肌を表現するイメージキャラクターとして、ハリウッド女優のナタリー・ポートマンを起用しました。
今なお進化し続けているエクサージュは、「皮フの構造だけでなく、女性の肌を胎内までさかのぼり細胞をみつめ直したブランド」というコンセプトに基づいて開発されたものでした。「赤ちゃんのようなみずみずしい弾力のある肌にする」ことを目指して、色や香りにも母親の胎内に抱かれていた時をイメージした、ひときわなめらかな感触とやさしさを感じさせるという特長を持たせたシリーズとなりました。また、この新ブランド開発背景には、多ブランド化したアルビオンのスキンケアを整理・統合することで、お客様にとってもっと分かりやすいご提案ができるよう、さらなる“アルビオンらしさ”の構築に挑戦するためのシリーズでもありました。

1998

ニューヨークの人気デザイナー・アナ スイと契約。「アナ スイ コスメティックス」市場導入。

2000

本社を東京都中央区銀座1丁目に移転。

「エクサージュホワイト」シリーズ(スキンケア&ベースメイク)発売。

2001

小林英夫社長、藍綬褒章を受章。

高級クリーム「エクス・ヴィ クリーム」発売。

2002

フランスのデザイナー、ソフィー・アルブと契約。「ポール&ジョー ボーテ」市場導入。

「埼玉大里工場(現・熊谷工場)」竣工・稼動。

新感覚のファンデーション
「エクサージュ モイスチュアシフォン」発売。

2003

ニューヨークに現地法人「ALBION Cosmetics (America), Inc.」を開設。

ロンドンに「ALBION Cosmetics (UK) Limited(現:UK Branch)」を開設。

「MADE IN ALBION」を世界に発信

アルビオンが目指す姿である「美しい感動と信頼の輪を世界に広げる」ために、海外でも“アルビオンらしさ”をダイレクトに具体化し、きめ細かい対応ができる体制を整えていきました。
1964年(昭和39年)には香港とハワイへの初の海外輸出に踏み切り、1976年(昭和51年)にはシンガポールとマレーシア市場への輸出も開始する等、すでに東南アジアでの市場開拓の道筋はつけていました。その後、アルビオンの国際事業が順調な進展を遂げるなか、国際事業をスムーズに展開するために、海外への拠点設置を加速。2003年(平成15年)、米・ニューヨークに「ALBION Cosmetics (America), Inc.」と英・ロンドンに「ALBION Cosmetics (UK) Limited(現:UK Branch)」を開設し欧米での販売体制を整え、2006年(平成18年)には香港に「ALBION Cosmetics (HK) Limited」も開設しました。そして、その後も「MADE IN ALBION」の輪は、世界各地に拡がっています。

新ヘアケアシリーズ「新ディセ」発売。

「エクシアAL」シリーズ(スキンケア&ベースメイク)発売。

高級化粧品の原点に立ち返る挑戦

2003年(平成15年)には、好調だったエクシアをあえてリニューアルした新シリーズ「エクシアAL」がデビュー。翌年には同「エクシアホワイト AL」がデビューしました。
初代エクシアシリーズは、1990年(平成2年)に誕生。スキンケア製品の高機能化・サイエンス化が進む高級化粧品分野において、多くの方の支持をいただきました。その後、1998年(平成10年)には新「エクシア」として全面リニューアルし、2003年(平成15年)にはさらに「エクシア AL」へと進化。好調なシリーズの再構築というチャレンジでしたが、高級化粧品の原点に立ち返り、世代を問わず美意識の高い方を対象として開発し、アルビオンを代表する高級ラインとして、現在に続く大きな成長を遂げました。

2004

熊谷工場、品質マネジメントシステム「ISO9001」の認証取得。

「エクシアホワイトAL」シリーズ(スキンケア&ベースメイク)発売。

ポイントメイクシリーズ「エクサージュ エプリス」発売。

スキンケアシリーズ「エクサージュ コルセス」発売。

2005

熊谷工場、環境マネジメントシステム「ISO14001」の認証取得。

6月、小林英夫が代表取締役会長に、小林章一が代表取締役社長に就任。

2006

創立50周年記念セミナーをイタリアと東京・帝国ホテルで開催。

香港に「ALBION Cosmetics (HK) Limited」を開設。

2007

東京・港区に「アルビオン白金教育センター」が完成。

「新イグニス」を市場導入。

2008

メセナ活動「ALBION AWARDS アルビオン アワード」創設。

ヘアケアシリーズ「ルネセア」発売。

2009

事業所内保育所「Kuukids」開設。

「エレガンス」新ポイントメイク発売。

2010

「白神研究所」開設。

商品開発を支える独自の研究拠点

アルビオンが追求する独自性の高い化粧品づくりのため、研究体制においてもダイナミックな強化を図っていきました。
2010年には世界遺産・白神山地の麓に「白神研究所」を開設。自社の畑を所有し、社員の手で植物を育て、独自原料の研究開発を行うこの拠点の誕生は、素材へのこだわりの具現化を進展させることとなりました。また、2013年には東京・中央区に製品研究を行う「東日本橋研究所」を開設。銀座本社との行き来もスムーズなうえ、最先端の情報を日本中および世界中からタイムリーにキャッチすることを狙い、都心に構えたというのも常識にとらわれないアルビオンならではの発想です。さらに、2014年にはスリランカに東京農業大学と共同で「スリランカ伝統植物研究所」を開設。まだ実用化されていない植物の分析や、新しい成分の開発を推進しています。各拠点の特性を活かしたあくなき挑戦が、独創的な新しい化粧品へと結実しているのです。

2011

上海に「ALBION Cosmetics (Shanghai) Co.,Ltd.」を開設。

台湾に「ALBION Cosmetics (Taiwan) Co.,Ltd.」を開設。

メセナ活動「アルビオン 研究者支援制度」創設。

2013

「東日本橋研究所」開設。

2014

東京農業大学と共同で「スリランカ伝統植物研究所」を開設

セレクトコスメストア「アルビオン ドレッサー」事業開始。

ボディケア・ギフトブランド
「イグニス ガーデン」発売。

2015

ポイントメイクブランド「エレガンス クルーズ」発売。

2016

米・インフィオレ社と提携、「インフィオレ」市場導入。

東京・表参道に「テラリウム表参道」を開設。

スキンケアシリーズ「エクシア アンベアージュ」発売。

2017

2ヵ所目となる事業所内保育所「Kuukids 福岡」開園。

スリランカ伝統植物研究所内に新たに「ゴダーラ研究所」を設立。

2018

ブランドの個性を訴求したオンリー店新業態「アトリエ アルビオン」事業開始。

熊谷事業所に新物流棟を竣工・稼動。

2019

自社栽培原料を採用した化粧液
「フローラドリップ」発売。

2020

アルビオンの哲学を体現した新業態「アルビオン フィロソフィ」開店。

熊谷工場に新生産棟(第一生産棟)を竣工・稼動。

2021

オンラインカウンセリングがスタート。

沖縄県うるま市に「沖縄研究所」を開設。

白神研究所内に「抽出研究棟」を開設。

2022

熊谷工場が令和3年度彩の国埼玉環境奨励賞受賞

スキンケアシリーズ「フラルネ」発売

2023

海外発のフラッグシップショップ「ALBION GARDEN Abbot Kinney」を米・ロサンゼルスにオープン